地震でも帰らなくちゃ
3日も経ってからのご報告です。「第30回京の噺家桂米二でございます@深川江戸資料館」へご来場ありがとうございました。11年前の5月、不安だらけで第1回東京公演をやらせてもらいましたが、その時も深川江戸資料館でした。それが30回目を無事に迎えられたことを、まずもって御礼申し上げます。
始まった当初は年2回公演でしたが、今は年1回が深川江戸資料館で休日昼公演、年2回が内幸町ホールで平日夜公演というふうに落ち着きました。その11年間に私がどれだけ老けたかご覧いただきましょう。第1回と第29回の打ち上げでの写真であります。よくわかるでしょ?
その11年間でどれだけ私が上手くなったか? これはよくわかりません。皆様のご意見お待ちしております。
さて、落語会は気持ち良くやらせてもらい、三席しゃべったあとの特別美味いビールを近所のくし家清澄白河店でいただきました。もう何度ここで飲んだことでしょう。
しこたま飲んだ後、大阪組の噺家連中をちょっと先に送り出して、京都組の私は日本画家のK画伯……。もうよろしいやろ、名前出しても。黒光茂明画伯と二人で京都へ帰ることになっておりました。
打ち上げ終盤は新幹線の中でも飲み続けることが頭を駆け巡っておりました。幸いなことに楽屋見舞に焼酎をいただいております。でもコップがない。泊りの時は必ず紙コップ持参の私、日帰りはそこまで頭が回らなんた。新幹線のホームで過去何度か紙コップが手に入らず泣きながら帰ったことがありましたっけ。
ですから、お店に居る間に紙コップまたはそれに代わる物を調達しようとした訳なんです。その時、くし家の店長さんが「師匠、これ持って行ってもいいよ」と差し出したのが、生ビール用の中ジョッキ。こんなサービス生まれて初めてですがな。「おおきにありがとう」とリュックへ入れたら、このジョッキの重たいこと。
でもこれで焼酎飲めるからね。黒光先生とタクシーで東京駅八重洲口へ向かいました。8時半頃に着いて、すぐに新幹線のホームへ上がりました。乗る電車「のぞみ135号」は8時50分発。まだ少し時間がございます。私よりも酒飲みと思われる黒光先生は「ちょっとホームの端まで行ってくる」と何かを調達しに走って行きはりました。
先生を待ってる間に気がついたんです。
「新幹線停まってるの?」
よく見ると表示板には「安全確保のために運転を見合せております」と出てる。私、「見合わせ」と聞くとすぐにJRの職員が何もせずお互いに顔を見合わせて呆然としている姿を想像してしまいます。「ボーッとしてんとなんとかせえよ」とつい思うんです。
地震があったらしい。ネットで調べると震源は小笠原。遠いやん。けど震度5とか書いたある。え? 東京も揺れたん?
そんな時に先生はビールや酒の肴を手にして戻ってきはりました。
「先生、なんか地震があったらしいでっせ」
自慢やないけど、私は東日本大震災の時も東京に居ました。大井町で劇団四季の「美女と野獣」を観てる時に揺れたんです。俺は「嵐を呼ぶ男」改メ「地震を呼ぶ男」かい?
けどタクシー乗ってる間のことで全然気がついてません。だから、たいしたことないと思ってました。けど新幹線はじめあらゆる電車が停まってるらしい。先に出た紅雀君からメールが来て、彼らが乗った電車は品川で停まってるとのこと。
そのうちに私のスマホが何度もブルブルブルブル震え出しました。地震ではなくてマナーモードね。あっちこっちから「大丈夫ですか?」と心配してメールやLINEやFacebookでメッセージをくれはったんです。え? 俺ってそんな心配される人間やったっけ?
嫁や娘からもLINEが来たのには驚きました。ふだん心配されたことなんかないのに、連絡してくるとは、よっぽど大きな地震やったん? その割には東京駅は静かですよ。
内容見て理解しました。この二人が言いたいことはこれやったんです。
「今晩帰ってこれるの? 明日のボックの散歩は行けるの?」
明日の朝、みんな出かけて誰も居なくて、ボックの散歩は私しか行けないのです。つまり、私を心配してたんではなくて、ボックの心配をしてたのね。うちの家族らしいや。
それに私は地震の揺れを感じてないからあんまり恐怖感がありません。東日本大震災の時はすさまじく揺れて、揺れが収まっても心臓は踊ってましたから。
けど帰らなくちゃ。ボックのために帰らなくちゃ。帰らないと家の者に何を言われるかわかりません。
まだ新幹線は運転見合わせ中。乗る予定の電車が動くかどうかわからないまま時間は過ぎて行きます。動いてくれるのならこのままここで待ってたらええけど、運休になったらホームを移動せんならん。もうベンチは満杯。座ることもできないまま、せっかく酒があっても飲めないまま、それまでの酔いもすーっと醒めて先生と立ち尽くしてました。
ぼちぼち動き出したというアナウンスが入ってきました。新横浜~新大阪は運転再開ですと。まだここは動かないのですか? でも乗る電車は走ってくれることがわかって一安心。
のぞみ135号は1時間15分遅れで出発しました。午後10時5分に動いた訳です。けど遅いこと遅いこと。当分徐行運転らしい。けどこれでなんとかボックのために帰れそうです。飲み始めました。くし家のジョッキに入れたビールの美味いこと美味いこと……と言いたいけど、ぬるいことぬるいこと。もう常温になってました。
京都駅に着いたのは午前0時55分。1時間45分遅れ。惜しいなあ。2時間遅れやったら特急券払い戻しやったのに。昔、台風で5時間遅れやった時は払い戻してもらったことを思い出しました。払い戻しにすごい行列でしたが……。JR東海も2時間遅れにならないために必死やったんと違う?
払い戻しの行列はなかったけど、タクシーがすごい行列。ふと前のほうを見たら、車で家族が迎えに来ている姿多数。微笑ましいねえ。うちでは考えられません。運転手は僕やもん。
このまま帰らへんのが私と黒光先生の仲。1軒だけ祇園で飲んで帰宅は午前3時。
地震のせいでへべれけにならずに帰れました。あくる朝も6時半に起きました。ボックの散歩も行きました。それも1時間。ボックも私と差しで散歩というのは久しぶりにも関わらず機嫌よく歩いてくれました。結局、地震もそんなに大きな被害はなかったようですね。日本国中揺れたのは初めてらしいけど。ま、一件落着。
メッセージをくださった方、本当にありがとうございます。まだまだ私のことを思ってくださる方がたくさん居てくれはって、喜んでおります。うちの弟子の二葉も心配そうなメッセージをくれました。もう一人はうんともすんとも言うてこなんだけど。
くし家の店長、ジョッキをありがとうございました。今度、返しに行きますからね。けど今度深川へ行くのは来年の4月23日なんですわ。お元気で待っててくださいね。
この記事へのコメント
長生きも芸のうちだと思います。米朝師匠も円都師匠の年齢までは意地でも生きたかったんだと思います。米二師匠には少なくとも88+2で90歳まで生きて頂いて、上方落語の古老としての味わい深い噺を聴かせて欲しいです。
生涯現役でお願いしますね^^。