桂雀々師匠
全く違う芸風だった。あんなパワフルな落語ができるのが不思議だった。長いこと会ってなかったし、落語も聴いてなかったが、最近も同じ芸風だったに違いない。
彼が枝雀師匠に弟子入りしてきたのは1977年の6月頃だったと思う。私より8ヶ月遅くて3歳下。初めは私のことを「米二兄さん」と呼んでいたが、すぐに「米二さん」になり、その後は「りくやん」になった。「理屈の米二」から当時はそう呼ばれていた。今はみんな「じーやん」と呼んでいるが。
そういうと私はいつも彼のことを「雀々」と呼び捨てにしてた。君付けで呼んだこともない。弟みたいに感じてたことは確かである。
年季明けしてからほぼ同期の都丸(現塩鯛)、米二、雀々の3人で勉強会を始めた。それぞれの名前を取ってタイトルが「とにいじゃっくの会」。お客さんもよく入って順風満帆のように見えたが、10回やって解散。原因はクリスマスケーキ事件。
世帯を持ったばかりの都丸君の家でクリスマス・パーティーをやることになった。雀々と私かそれぞれケーキを持って行った。雀々はごく普通のクリスマスケーキ。私は山科で有名なローヌのチーズケーキを持って行った。さんざん飲んで酔っ払ってからケーキを食べることになったが、私はもう甘いものは無理で、雀々が持ってきたケーキは食べなかった。しかし自分が持ってきたチーズケーキなら食べられると思い、チーズケーキだけ食べた。それを見て雀々が「俺が持ってきたケーキは食えんのかァー」と言って怒り出して喧嘩になった。
これが原因で「とにいじゃっくの会」は解散した。あくまで都市伝説ではあるが。
天満天神繁昌亭ができて、いろんな落語会が開かれるようになって「とにいじゃっくの会」も復活させることができた。いつまでもクリスマスケーキを根に持ってる訳ではないから。都丸君が塩鯛を襲名したので1年後に「しおにいじゃっくの会」も開いた。
2011年だったと思う。動楽亭昼席の楽屋で「東京へ行くねん」と言って、それからしばらくして本当に東京へ行ってしまった。米朝事務所も辞めたということは後から聞いた。「しおにいじゃっくの会」も解散した。
その後、一度私の東京の会へ出てもらったが、それから会ってないと思う。人づてに聞いた話からの推測ではあるが、無理してたんやろね。必死だったに違いないが、そこまで頑張らなくて良かったんと違うかな。大阪に居てもっとのんびりしてたら楽やったと思う。あんな大阪が似合う男はないんやから。仲間もいっぱい居るし。
数年前のこと。携帯に彼からの着信が入っていた。珍しいと思いながら私から電話すると、
「えっ? 電話したかな? 誤発信や」
これが彼との最後の会話になった。ちとこれは寂しい。
安らかに……。

復活した「とにいじゃっくの会」。繁昌亭の舞台袖にて。2007/11/30

修業中、雀々、米二、小米朝の3人で初代春団治の顔真似をした。やっぱり雀々が一番似てた。1979/9/27
彼が枝雀師匠に弟子入りしてきたのは1977年の6月頃だったと思う。私より8ヶ月遅くて3歳下。初めは私のことを「米二兄さん」と呼んでいたが、すぐに「米二さん」になり、その後は「りくやん」になった。「理屈の米二」から当時はそう呼ばれていた。今はみんな「じーやん」と呼んでいるが。
そういうと私はいつも彼のことを「雀々」と呼び捨てにしてた。君付けで呼んだこともない。弟みたいに感じてたことは確かである。
年季明けしてからほぼ同期の都丸(現塩鯛)、米二、雀々の3人で勉強会を始めた。それぞれの名前を取ってタイトルが「とにいじゃっくの会」。お客さんもよく入って順風満帆のように見えたが、10回やって解散。原因はクリスマスケーキ事件。
世帯を持ったばかりの都丸君の家でクリスマス・パーティーをやることになった。雀々と私かそれぞれケーキを持って行った。雀々はごく普通のクリスマスケーキ。私は山科で有名なローヌのチーズケーキを持って行った。さんざん飲んで酔っ払ってからケーキを食べることになったが、私はもう甘いものは無理で、雀々が持ってきたケーキは食べなかった。しかし自分が持ってきたチーズケーキなら食べられると思い、チーズケーキだけ食べた。それを見て雀々が「俺が持ってきたケーキは食えんのかァー」と言って怒り出して喧嘩になった。
これが原因で「とにいじゃっくの会」は解散した。あくまで都市伝説ではあるが。
天満天神繁昌亭ができて、いろんな落語会が開かれるようになって「とにいじゃっくの会」も復活させることができた。いつまでもクリスマスケーキを根に持ってる訳ではないから。都丸君が塩鯛を襲名したので1年後に「しおにいじゃっくの会」も開いた。
2011年だったと思う。動楽亭昼席の楽屋で「東京へ行くねん」と言って、それからしばらくして本当に東京へ行ってしまった。米朝事務所も辞めたということは後から聞いた。「しおにいじゃっくの会」も解散した。
その後、一度私の東京の会へ出てもらったが、それから会ってないと思う。人づてに聞いた話からの推測ではあるが、無理してたんやろね。必死だったに違いないが、そこまで頑張らなくて良かったんと違うかな。大阪に居てもっとのんびりしてたら楽やったと思う。あんな大阪が似合う男はないんやから。仲間もいっぱい居るし。
数年前のこと。携帯に彼からの着信が入っていた。珍しいと思いながら私から電話すると、
「えっ? 電話したかな? 誤発信や」
これが彼との最後の会話になった。ちとこれは寂しい。
安らかに……。
復活した「とにいじゃっくの会」。繁昌亭の舞台袖にて。2007/11/30

修業中、雀々、米二、小米朝の3人で初代春団治の顔真似をした。やっぱり雀々が一番似てた。1979/9/27
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